tedium =(英) 退屈なこと。徒然。

どうってことないコンテンツをつくってみました。日々のつぶやきのなかで、日記でもなく記事でもない、人に読んでもらうほどのものでもない、まぁいってみれば、行き場のない駄文をココへ集めてみようかな、と。                  え?そんなモンわざわざHPに載せるなよ、って? はい、ワタシもそう思います。
ま、徒然ということで、なんとなく流してくださいませ。




生きていると
うまくいかないことがたくさんある。

哀しい想いをすることも数えきれないくらいある。

夢が破れたり
裏切りに合ったり
過去を悔やんだり
病に倒れたり
恋に泣いたり


ときどきワタシも
せつなさのあまり
人を責めたい気持ちに駆られることもあるが
それはよくない、何も生まない、と一秒でも早く打ち消す努力をする。
肩を張り、奥歯に力を込め、涙腺を固く閉じ、
あるいは、遥か地球の裏側へ思考を飛ばして、阿呆になり、
ワタシなりに踏ん張るわけで。


そんなとき
自分だけ必死で生きているような気になっているけれど
いや、実は
みんな、おんなじだよな、と。
みんな、とある想いや、とある欲望や、とある思想や、とある正義感をもち
必死に自己と戦い
生きているのだ。


日常に運ばれ現世を流れるのは
ただ、それだけでもしんどいこと。
みんな
それぞれ
必死で生きているんだ。


だから
少々の痛みを負っても
たいしたことないさ、と思いたいわけだけど。

死ぬほどのことじゃないさ。
それに
万が一そんなことで死んだとしたら、それはそれでしかたないさ、と。

明日死ぬかもしれないと思って生きろ、と
ガンジーも言っている。
今は、とりあえず
ガンジーを信じよう。



***



ワタシも含めて、、なのだろうけれど
人間て
ホントに勝手なイキモノだな、と思う。


自分だけのタイミングで
人を巻き込むんだな。

自分だけの事情
人を信頼するんだな。

自分だけの都合
人を愛したり憎んだりするんだな。


もう、うんざり。


だから
少なくとも
ワタシは、逃げないことを決めた。
なにからも逃げないし
だれからも逃げない。

ひとつしかない真実からも、逃げない。


確かにワタシも身勝手な人間なんだろうけど
薄っぺらな世間体や、
見せかけの誠意や、
その場限りの愛の言葉や、
そんなものに、ごまかされずに生きていたい。


ごまかされて、たまるもんか。




***




くだらないことが大好きなのに
人がくだらないことをしてるところをみるとがっかりする。

くだらないTV番組が嫌い。
くだらないJポップが嫌い。
くだらない井戸端会議が嫌い。
くだらない政治家が嫌い。
くだらない世間体が嫌い。
くだらない恋愛が嫌い。

でも
くだらないおしゃべりをして
くだらないダジャレに笑い転げる
くだらない宴は、好き。

くだらない時間を楽しめる
くだらない自分も、好き。

そういう意味で
ずっとずっと、くだらない人でいたい。



***




震災から一年。

あの戦慄から、一年。
無力感を感じ続けての、一年、だ。

今日ワタシは、とある音楽劇のステージに立っていた。

それは
この日を狙ったわけではないのだが
生と死を含む人間の命、魂、その器としてのカラダ
無情、不条理
そして、何かにしがみつくことの生き物の念力(エネルギィ)といったことが盛り込まれた内容だった。

14時46分に楽屋でひとり黙祷し
15時の開演を迎えた。

およそ1時間の音楽劇とライヴ、を、昼夜2公演。
ただ黙々と
「演技」と「演奏」を道具に
「脚本」と「楽曲」に向かうワタシであった。

そして
ワタシの本当にささやかな「祈り」は、今日少しだけ浄化されて
ワタシは少しラクになった。

少しだけ勇気が湧いた。

ワタシは終始台詞のない役で
「うた」が一曲だけ挿入されてある。
歌詞の一部は、、


 春になくしたものは心でした
 なくして初めて気づいたのです
 なくならないものなど 
 なにひとつないのだと
 遅すぎて 春

 白い浜辺で小さな貝殻が
 ひび割れてなくしたカケラに泣いた
 風に飛ばされ波に洗われて
 拾い上げる手を 待っているのか



この歌を
この日に
歌として歌い、調べとしてピアノを弾き
ワタシが、ワタシであれて
ただそれだけのことが
嬉しくてたまらない。


ワタシは
なにもできないけれど
確かに
生きて
ここにいる。




***




思うに
人は、どんな時に泣くのだろうか。
悲しいとき
辛いとき
悔しいとき
嬉しいとき

楽しいとき以外なら
人はどんなときだって
泣く理由がみつけられるものなのかもしれない。

いろんな人がいろんな場面で泣いているのを
たくさん見てきた。
美しい涙も、そうでない涙も、思わずもらい泣きしそうな涙も、何の意味もなさそうな涙も、見てきた。

涙は
人のウソとホントの狭間でつくられているのかもしれない。


今日、ワタシはあることで泣いた。

その時は、自分でも涙の意味がわからなかったけれど
今考えると
ホッとして泣いたのだと思う。
真実を知りウソがないことを知り
安堵して
思わず涙がこぼれたのだろう。

別の意味でとてもせつなかったけれど
哀しくて泣いたのではなかった。

あまり
流したくない涙でもあった。


しばらく
泣きたくない。

泣かない自分が好きだ。

涙をこらえれる自分でありたいと思う。
おばあさんになっても。



***



先日、東京で行われた高校の同窓会で、卒業以来の再会をはたした友人達。
いやはや、なんと久しぶり。

そして
その友人一人一人と、かけがえのない大切な思い出があるわけだ。
改めて考えると、素晴らしいことである。
手紙や交換日記など文字にしていたモノは、長い月日の間に、ほとんどどこかへいってしまった。
もしかしたら実家の押し入れの天袋の奥に眠ってるか、、もしれないけど(笑)。

再会して話をするのは、思い出の封をひとつひとつ開けてゆくような、心躍る出来事だった。

コーラス部で一緒だったI田くんが出席していた。
高校時代、クラブを掛け持ちしてる人はけっこういて、ワタシも文芸部に属していたが、I田くんは写真部だった。自宅に暗室もどきをつくり、酸っぱい匂いに包まれながら夜な夜な現像するような、オタクな少年だった。
彼は、その同窓会で「わ、ひっさしぶり〜」と話をした後、おもむろに鞄からノートパソコンを取り出して目の前に広げた。
画面に写っていたのは、なんとワタシの写真。
高校2年生、16歳のワタシ。
うお〜〜、懐かしい!
そうだそうだ思い出した。写真を撮る練習をしたいからモデルになってくれよ、と頼まれ、近所の神社で撮影した時のショットだ。
けっこうな枚数を、全てスキャニングしてPCに取り込んでくれていたのだった。
I田くんたら、なんていい人なの〜 昔から親切だったけど。

彼のいい人ぶりにも、自分の初々しさにも感動し、さっそくデータをもらった。

数日後、その写真を息子に見せてみた。
「今のオマエと同じ歳だよ。どう?可愛いでしょ〜」と。
息子は
ほんとにチラ、とだけ見て
「ふーん。 ま、その時代のモテ顔ってか?」と言い捨て、立ち去った。
その時代?
、、古くさいてこと?
、、ムカ!
そして、当たってる!(笑)

悔しいな。

えぇい!
載せちゃおう。


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***


前載の記事のですね

「二の腕がいつも冷たい」という疑問に
あっさりと、答えを出していただきました。

しかも、殿方に。

「脂肪は冷たいものなんですよ」と。

あぁ、そうなんですね。
脂肪の温度なんて、ワタシ考えたこともありませんでした。

この歳になって
人生における、さまざまな道理や不条理が
少しづつ、わかってきている、暑い夏です。


***


二の腕がいつも冷たいのだ。

ワタシは基本的に、かなりな暑がり。どうも人より体感温度が高いらしく、夏場はたーいへん過ごしにくい。
例年、夏になり気温が上がり始めると、「溶けてしまう」だの「もうダメだ」だのと、うるさくなるので
友人達からは「ペンギン女」と呼ばれ、「さっさと南極に帰れ」と、疎まれて(笑)きた。

が、ここ数年、さすがに歳のせいだろうか、暑さをさほど感じなくなった。
暑い暑い、クーラーをもっとガンガンきかせろ〜、とホザく口数も少なくなった。
自分としてもなんだか気が抜けてしまい
ついに昨年、ペンギン女を返上した。

しかし、だ。
今年はまた梅雨明けと同時にやたらめったら暑いじゃないか。
なんじゃこりゃ、というくらい暑い。
許せんくらいクソ(失礼)暑い。

が、一旦返上した名を再び名乗るも無粋なことなので
「前世がペンギン」と表現することにした。

省エネの今夏、そんなワタシもエアコン控えめで頑張っているが、なにしろ前世がペンギンなので、暑いと死んでしまう。
なので、かわりに一日何回もシャワーにかかり、じゃんじゃん着替える。
お洗濯も大変だが仕方ない。前世がペンギンである宿命だ。
幸い今年は雨もたくさん降ったので、水は遠慮なく使わせてもらいたいな。
前世がペンギンだから、許してほしい。


冒頭に戻る。
そんなワタシだけど
二の腕は常に冷たいのだ。
どんなに汗をかいて顔が火照っていても、二の腕はいつもひんやりしている。
日傘をさして歩くキツイ日差しの下でも
二の腕だけは、静かに低く恒温なのである。

なぜかしら?

なぜだろう?

前世がペンギンだから、だろな。


***


高校時代、音大へ進むと決めた時、同級生らから
「勉強しないでいいんでしょ、うらやましい」と言われたものだ。
どう答えていいかわからなかったので
「まぁ、ね」とお茶を濁していた。
確かに音楽以外のことはほとんどスルーしてシアワセに過ごしたな。
その後、大学を卒業し、演奏を生業として生活するようになると、よく言われたのが
「好きなことを仕事に出来ていいわねぇ」だった。
それについては自分でも「ホントにそうだ」と感じていたので
「えぇ、おかげさまで、まぁ」というような返答をしていた。

それが年とともに、また歳とともに、周囲の見方も次第に変わってきて
結婚後は
「仕事を続けさせてもらっていいわねぇ」となり(ナンだ?そりゃ)
さらに
「好きなことをさせてもらっていいわねぇ」に(はいはい、確かに)。
母親になり、状況もいろいろと変わり、最近では
「いつまでも好き放題できていいわねぇ」とか
「奔放に生きれていいわねぇ」
時には
「それが許されるというのがスゴいわねぇ」てのも(苦笑)。

しかし
それらの言葉のウラには最初からずーっと
「モノズキだねぇ」とか
「なんのためにやってるの?」とか
「ま、私には理解できないけどネ」というちょっとした『呆れ感』があることもワタシは知っている。
確かに、仮にワタシに、高い教養や如才なさや商売の才覚や深い社会意識や強い労働意欲といったものなどがあったとしたら
同じように遠くから呆れていたかもしれない。

しかし、大変残念で、且つちょっと仕合せなことに
ワタシはそういうものを持ち合わせていないのであった。

なので、現在に至る。

生き方や、人生の価値なんて、結局は本人が決めることだけれど
親不孝も含めて、ワタシはずいぶんと周囲に迷惑や心配をかけながら生きているんだと思う。
ごめんね、と一日24時間思っている。
そして、そんな日々こそが、素晴らしいワタシの人生そのものだ。

後は
こんなワタシのささやかなポリシー
『ワンパクでもいい、逞しく育って欲しい』
、、じゃなかった(古すぎておかしくもなんともないか)

『バカでもいい、ウソが上手なよりは』を、貫くこと、かな。


***


ある人が「人生はブルーズだ」と言った。
あぁ、そうかもしれない、と思った。
ついでにワタシの人生にもあてはめてみたけれど、どうも違う。ワタシの場合ブルーズではないような気がする。
Bluesの語源といえる「Blue」。「青」は好きな色だけど「ブルーな気分」とか「憂鬱」と隣り合わせのスピリッツは、ワタシの中にはあまり見あたらない。
なにか他に、得た言い方はないか、と考え、うーん月並みだけど「エレジィ」かな、と。
日本語で「哀歌」。つまり「悲哀の歌」だ。
そうだ、そういえばワタシは哀しみとダンスをするのが得意なのだった。
哀しみの中にある「旨味」のような「煮こごり」のようなモノ、どうせならいっそのこと吸って吸って吸い尽くしたい。でもそこにいることが苦しいわけではないから、ずっとそうして居れる。
ははぁ、哀しみの中にチャプンといる時が長すぎて、これほどまでにヒヨワで愚鈍なイキモノが出来上がったのかもしれないな。
それに、楽しいことや嬉しいことが毎日これほどたくさんあるのに「人生はエレジィだ」なんて、さみしい女だなぁ、ワタシって。
ブルーズは、なんだか強い。「どうしようもない」「思いどおりにならないこと」を「それが人生さ」なんて「歌っちゃう」んだもんねぇ。
すごいなぁ、強いなぁ。うらやましいなぁ。


そうして
あいもかわらず
今夜も哀しい。
こんな夜中に大雨が降るから、、
それともやっぱり
あの人から手紙が来ないから、、かな、、


***


東日本大震災に遭われた多くの方々の絶望感を思うと、人間の愚かさと自分の無力さに打ちひしがれる。
一方、瓦礫に埋もれた被災地で、親も家も失いながらも懸命に生きる子供らの瞳には、震えんばかりの感動と力強さを覚え、勇気が湧き上がって来る。

日本人は、個々にできる小さなことを持ち寄り、精神的に助け合う術を知っているようだ。昔からそうやって狭い島国で生きてきた民族だもの。
東北では今、この術を老若男女全てが使っているのだろう。だから希望があるのかもしれない。
都会において、その術を知らずに暮らすには、今の日本はなんと生きにくい国であることか。

災害後映し出された、ヘリコプターからの津波の映像を見て驚いたこと。
信じられない威力で押し寄せる巨大な波の、ほんの数十メートル先には、たくさんの水鳥がプカプカと浮かんでいたのだ。彼らはきっとその映像の直後に一斉に飛び立ち、命を落としてはいないと思う。
ギリギリの「ヤバさ」を知らせる声に耳を傾けただろうから。

自然のセンサーが「危ないよ、そろそろヤバいよ」という声が、人間は聴こえなくなっているに違いない。
ギネスブックにも載ったという世界最深の堤防は跡形もなく流された。
原発しかり。
幻想を捨て、現実の居を築かなければ、人類はもう既にヤバい。


***


仕事をしていて、家庭があって、子どもがいるとなれば、当然いくつもの「顔」がある。

ワタシの場合、仕事の内容も各種あり、それぞれに「顔」というものがある。
アーティストとしての顔、演奏技術者としての顔、レッスンプロとしての顔、教師としての顔、業者としての顔、、、それぞれに使命や責任や技術をともなう。
それから
家人として、の顔。これは家の中だけでなく、ご近所や、友人知人に対してもひろがっていく。
母としての顔。これも学校や子供会やサークルやお稽古ごとなど保護者ネットワークにより、どんどんひろがっていく。

ふと、思う。
朝、ベッドで目覚めたとき、ワタシは、ワタシ自身でありながらどんな顔をしているのだろう?
隣にいる人、つまり、目覚めて初めて会う人によって決まるのかしら?ならば、家ではほぼ「母」だ。
では、夜、眠りにつく時は、、?
ここではワタシはミュージシャンなのではないか。一日の終わりには必ず音楽のことを考えているもの。寝る前、幼い娘がそんなワタシの背中にさみしさを感じているのを、ワタシは知っている。でも、そうでないと安心して眠れないし、ちゃんと生きていれないのよ、ごめんね、と思う。

今日は、母として目覚め、演奏家として仕事をし、業者として打ち合わせをし、母と講師の狭間の顔で娘の本番を聴き、家人として買い物をしご飯を食べ、そして、やはり、ミュージシャンとして眠りにつくようだ。もう少しだけ、明日の自分のために聴いておきたい音楽がある。

本来不器用なワタシは
これをいつか、一本化できるキャパの人間になるのが、目下の目標。
そしたら、、きっと、楽だろな。


***


ワタシには3歳年下の弟がいるのだけれど
今や、年に一度の電話かメールが行き交うくらいのつきあいだ。
最近会話をしたのは去年の9月の親戚の結婚式の時で、年末年始も音沙汰無しである。
でもまぁ、おそらく家族4人で元気に暮らしているはずだし
次に会えば「そうそう、それでねぇ」みたいな感じで、ごく自然に会話が弾むと思う。
もともと彼はそっけなく、どちらかというと無口な人間だが、絶妙な距離感が双方にあるという気がする。
ワタシたちはずっとこんな感じで、そして堂々と書くが、たいへん仲の良い姉弟である。
困ったことがあったら「ごめん、困った」と即知らせるし、相談も遠慮なくする。
たくさんの局面で彼に助けてもらったと思う。
そして、お互いを必要以上に干渉はしない。
次に会うのが3年後でも、ちっともおかしくない。
しかし、この世に彼がいなかったら、きっとワタシの人生はもっとしんどいものになっていたと思う。
距離的には遠くにありながら、お互いを「存在」で支えあっている(少なくともワタシは支えられている)。
実にありがたき存在である。

ふと、思ったが
ワタシって、ブラザーコンプレックスなんだろか?
んー
いや、そういう感じでもないんだけど
だけども
どうも
ちょっと年下の男性といると妙な居心地のよさを感じてしまうのは、否定しようがない。

これ、両親が読んだら苦笑するだろな。


***


同じ内容の事を伝えるのに「なぜそんな言い方をするの?」と思うことがけっこうある。
他の言い方があるんじゃないの?
いろんな人に対して思う。
その人に敵意も悪意もないのは知っている。
だから、よけいに思う。
言葉の使い方を知らないのか? 否。
語彙が狭いのか? 否。
意地悪な人なのか? 否
何かに腹が立っているのか? でなければ、何かが哀しいのか?
たぶん、そうなのだろう。

言葉は武器だ。自己防衛のための。
自己防衛は、時に対象となる相手を要する。具体化し得るなら誰でもよかったりする。
怒りや哀しみのエネルギーが言葉を通り抜ける時、自己防衛のフィルターは、よけいな力を持たせてしまうに違いない。
言葉に宿ったそのエネルギーは、相手をも負の方向へと向かわせる。
怒りや哀しみは不本意のうちに倍になってしまうのに。

言葉を介して怒りや哀しみと闘うことは、よそうと思う。
気をつけてないと、ついついやってしまいそうだ。
あえて口にするなら
怒っている時は「これにこれだけ腹が立っている」と言おう。
哀しい時は「このことが今たいへん哀しい」と言おう。
それなら、そこで終結するんじゃないか。

己の怒りを分解する術は、少なくともワタシは他に知っている。
他者を巻き込むことはない。
他者に期待することは「そっと見守っていて欲しい」という一点だ。

負のエネルギーが増え続けるのは、とにかくごめんだ。


***


たとえばだけど
自分が、余命幾ばくもない、と知った時
優先するのは、人生か、音楽か?
 -人生に決まってる。
そうよね、でもね
音楽家が音楽なくして人生を語れないのなら、それは音楽ってことになっちゃうわけ。
 -まぁ、そういっちゃえばそうだけど。
では、とりあえず生きていくとして、よ
音楽とともに人生を全うするためには、どうすればよ・い・か?
 -健康で生き続ける、ことかな。
ピンポン、その通りです。

でね
この歳になって、なんとなく、人生という坂の向こう側が見渡せる気がする今
どうやって、いかにしてその先へ、つまり坂の一番下へたどり着くか、よ。
転がってくか
滑り落ちるか
足取り軽く跳ねて行くか、、
そのくらい、自分で選びたいじゃない。
どっちみち、坂道なんだもの。
だったら
イヤなことを頑張ってやって寿命を縮めるよりも
周囲に迷惑をかけずにどうにか好きなことを続けて
細々とシアワセな日々をおくることをワタシは選びたいわけ。

誰にわかってほしいわけでもないんだけど、ね。
だいたい、批判されるだろうし、ね。


***


人は、生きていくうちに、いくつかのターニングポイントに出会うもの。
望む望まないとにかかわらず、それは、あるときふっとやって来る。
躯や心を固くして拒んでしまうことも、顔をそむけて逃げることもできる。
でも、思い切って軌道を変える勇気さえあれば、きっと、人生はひろがってゆく。
それはもしかしたら、何かや誰かとの別離を意味することになるかもしれない。
そうだとしたら、確かに少しせつないけれど。
少しだけ泣いて、でも、進むのだ。

息子よ
まずは、船出の準備をしなさい。

人生という航海は、素晴らしいよ。


***


クリスマスに大ホールで行われた音楽芝居。

出演者の中にふたりほど、愛するものの危篤状態を抱えた人がいた。
ひとりは、30年間連れ添った最愛の妻。
ひとりは、15年間家族同様に可愛がってきたペット。
ふたりとも大変重要なポジションにあることもあって、それを知る人は誰もが「本番まで持ちこたえて」と願った。
ワタシは「言霊」というものの存在を信じているので、あえて何度も口にした。「お願い、頑張って」と。
彼らの愛の深さを知っているから。

両者ともかなり危険な状態にありながらも、なんとか持ちこたえてくれて、舞台は無事に公演され、幕が下りた。
カーテンコールで喝采を受ける彼らの姿を舞台袖から見て「あぁ、本当によかった」と思った。

舞台がハネた後
そのペットが当日の朝、彼が本番へと出かけた1時間ほど後に亡くなっていた事を知らされる。
そして
翌日の午後
入院中の奥様は、本人にみとられながら、静かに他界された。

「待っていてくれた」のだ。
「持ちこたえてくれた」のだ。
絆というものには、その力が最後の最後に残されるのかもしれない
自分の死のタイミングを計る力、そういう愛の力、が。

こころからご冥福をお祈りします。
そして、こころから
ありがとう。

やすらかに。


***


「日記」にはふさわしくない気がするのでココへ。
ココならいいのか?
いいことにして、と。

大手企業のトップに立つ人だが、ワタシを誰かに紹介する時、必ず『こちらは、遊び人のシイナさんで、、』と始めるのが、以前からけっこう気になっていたのだが、正直、たいへん気に入っている。友情も愛も感じられ、なんだかウレシい。
もちろんワタシは遊び人ではないけれど。
ていうか、遊び人て??

先日、とあるライヴハウスのオーナーが、楽屋でウチのバンドと話しをしていて『いやぁ、みなさん、自由人ですね〜』と言った。その人もミュージシャンだけれど、我々をあまりに奔放な人種だと感じた様子。半ば呆れてんのかなとも思える、たいへん気に入る表現であった。
そりゃあなた、音楽やってて自由でなければ、なんなのでしょう。

遊び人で、自由人。
素敵なプロフィールだ。


***


ワタシはクリスチャンではないけれど、幼稚園と大学がそれぞれカトリックだったため、教育の両ハジをビシッとキリストが押さえてくだすってんのかな、と感じることがけっこう多い。

なので、世の中の浮ついたクリスマスが実はあまり好きではない。
ジングルベールジングルベール す・ず・が〜鳴るぅ〜♪イェイ! てのが。

ワタシの中のクリスマスは、やはり「馬小屋」のイメージ、かな。

幼稚園の時と、仕事を始めてから、の2度ほど、聖劇の「ヨゼフ」を演じたことがある。ヒゲもつけた。背が高いということで選ばれたんだろうが、内心はけっこう傷つくもので。ほんとはマリア役が演りたいなんて誰にも言えないし、どうせ聖母なんてキャラじゃないわ、て。

現実の母となってからは、そんなことはどーでもよくなったけど。

マリア像のように赤子を抱いていても、年老いても、あの世に逝ってからも、母は母。
クリスマスも、大晦日も、元旦も、母はいつだって母。
24時間365日が母。うるう年は366日が母だ。
休みなどない。イエイ!


***


力があるのに謙虚な佇まいが好きだ。憧れるし、いつかはそうありたいと願う。
逆に
さほど力もないのに横柄さの滲み出る人には、嫌悪感や憐れみを感じるし、ああなるのはよくない、と反省する。若い時にイキがるのはまだ好感が持てるけど、ある歳を過ぎたらやっぱり、ね。

人間は弱い弱いイキモノだから、まずは、自分の無力を知るのが自然なんだ。そうすれば「なにひとつできない我」が根底にあるから、「もしかしたら、ちょっとくらいなら、なにか出来るのかもしれない」て思えることがささやかな希望と喜びになる。それが励みとなって、小さな力を生み育む原動力になるんじゃないか。

「自分なんて全然たいしたことない」という事実を知ってから、ワタシは生きていくのが少しラクになった。

だから、今日も誰かの力を山ほど借りて、こうして凡庸な暮らしを繋いでいれる。